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亀井堂、倉木家 倉木家は代々、王子の名主をしていて、分家が上野広小路にきて餝職をしていたが、彰義隊の戦争で焼かれて、湯島に移っていました。 神戸からきた松井佐助さんが湯島小町といわれた倉木わかさんに一目惚れ!プロポーズをしました! しかしわかさんは箱根の向こうになんか行くものかと。。。。 では、上野に店をもてば来てくれるか、と追ってついにわかさんを射止めました。 わかさんは嫁に行く代わりにその弟の忠吉に店を持たせました。...

戦後復興期、文楽人形使いの方からアドバイスとご許可をいただき、人形焼は当店で生まれました。 早速上野本店及び東京駅名店街店で実演販売したところ、全国のお客様よりご愛顧をいただき東京みやげのベストセラーとなりました。 人形焼本来の形、文楽人形の頭(かしら)を象るのは当店オリジナル。 後発他社との差別化の為に文楽人形焼(登録商標)の名称を使用しております。...