お知らせ

亀井堂、倉木家 倉木家は代々、王子の名主をしていて、分家が上野広小路にきて餝職をしていたが、彰義隊の戦争で焼かれて、湯島に移っていました。 神戸からきた松井佐助さんが湯島小町といわれた倉木わかさんに一目惚れ!プロポーズをしました! しかしわかさんは箱根の向こうになんか行くものかと。。。。 では、上野に店をもてば来てくれるか、と追ってついにわかさんを射止めました。 わかさんは嫁に行く代わりにその弟の忠吉に店を持たせました。...

戦後復興期、文楽人形使いの方からアドバイスとご許可をいただき、人形焼は当店で生まれました。 早速上野本店及び東京駅名店街店で実演販売したところ、全国のお客様よりご愛顧をいただき東京みやげのベストセラーとなりました。 人形焼本来の形、文楽人形の頭(かしら)を象るのは当店オリジナル。 後発他社との差別化の為に文楽人形焼(登録商標)の名称を使用しております。...

明治23年(1890年)開業。 亀井神社が神戸にあり、そこから和尚さんが名付けた。 古き瓦煎餅の由来は、平安時代の僧・空海が心理の華を咲かせるべく、唐に渡り後三年(806年)持ち帰ったのが原型とされております。その後、江戸時代元禄年間に鉄の型に生種を入れて焼く製法が生まれ、更に明治初期神戸にて洋菓子の製法を取り入れ、今日の瓦煎餅が完成しました。 明治6年神戸元町に開業した瓦煎餅職人当店始祖松井佐助は、明治23年上野公園で開催された第三回内国勧業博覧会出展を縁に上野広小路(現在地)亀井堂東京店を開設、その後義弟倉木忠吉が事業を承継し関東大震災、東京大空襲の苦難を皆様のお引立てのお陰で乗り越え、今では東京銘菓の一つとして広く知られるようになりました。『菓子は文化』受け継がれた伝統を守り、更に良いお菓子作りに邁進いたします。 ...